続々々・被災地の今を訪ねる(2) - タケルンバ卿ブログ より続きです。
放射線については一旦横に置き、話を常磐富岡インターチェンジあたりからに戻します。
高速を降りると全く手入れされていない風景が広がります。ここは帰宅困難区域。かつては田畑であった場所も雑草が生い茂っています。
通行できるのは限定された県道と国道。
それ以外の道はすべて封鎖されています。
場所によっては警備員が配置され、相変わらずものものしい雰囲気が漂います。
国道6号線に出ます。横道だけではなく、道沿いの建物すべてに柵が設置され、入れないようになっています。
2014年11月11日
「時が止まったかのような」という表現しか思い浮かばないほどに、国道6号線沿いの風景は変わっていません。
一年分雑草は伸び、生い茂っているだけ。
往来はトラック、ダンプ、マイクロバス、パトカー。除染作業や自治体の関係者、そして警察。いわゆる営業車両の往来を見かけません。
浪江町役場前でローソンに寄ります。店内は除染作業員の方、自治体の方、警察の方で混雑していました。
作業されている方々、往来する人々にとっても貴重な店舗。何しろ国道6号線沿いは帰還困難区域になっている場所が多く、こうした店舗、特にトイレ休憩ができるような場所はほとんどないのです。
避難区域は少しずつ狭まるとともに、警戒レベルも引き下げられていますが、依然として浪江町・双葉町・大熊町では多くが帰還困難区域となっており、解除の見通しは立ちません。
賑わっているコンビニのちょっと横も立ち入り制限がされています。
2014年11月11日
昨年と同じ風景に見えます。変化は特にありません。
続いて常磐線の桃内駅に向かいます。こちらは常磐線の不通区間となっています。
運行がされていないため、駅舎や線路などに手が入っておらず、草木は伸び放題のまま。
2013年11月12日
2014年11月11日
こうして画像を並べてみても、さほど変化がないように見えます。
駅名表示板も草や蔦に覆われています。
2013年11月12日
2014年11月11日
一年経って少し枯れてきたくらいでしょうか。
錆びたレール。ぐにゃりと曲がったレール。何も手が入っていません。
桃内駅を出ます。
今回よく見たのが、道路端などに置かれたフレコンバッグ。
震災の後片付けがまだ終わっていないということでしょうし、一方で後片付けができるような状況となってきた。人が戻ってきているということでもあります。
大量の消波ブロックが置かれていました。
ショベルカーの右側にあるのが型枠で、ここにコンクリートを流し込んで成形します。
こうした製造場所兼置き場のような場所は各地に見られました。
山道を抜けていくと、突然きれいに雑草などが刈り取られた場所に出ました。
丘を上がってみると、常磐線の運転再開に向けて整備工事が進んでいるようでした。桃内駅で見た風景と違い、レールや敷石が新しく、いつでも運転できるような状態になっています。
・相双管内の主要道路・鉄道の復旧及び開通予定 - 福島県ホームページ
浪江 ~ 小高
平成27年3月から、遅くとも2年後の開通を目指す
(平成27年1月31日より代行バスの運行を開始)小高 ~ 原ノ町
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/01260a/sosodoro.html
平成28年春までに開通
(平成27年1月31日より代行バスの運行を開始)
先ほどの桃内駅は浪江・小高間にあたり、2年後の開通が目標のために手が入っていない状態ですが、この場所は小高駅よりも原ノ町駅側にあるため、来年の春に向けて準備が急ピッチで進んでいるようです。
磐城太田駅の近くに行きます。
こちらも整備工事が進んでいます。
2012年10月24日
2013年11月12日
2014年11月11日
原ノ町方面・北向きの風景が、
こうなり、
2012年10月24日
2013年11月12日
2014年11月11日
同じく小高方面・南向きの風景がこのように変わりました。正直ここまでの変化は予想外。高速道路を降りてから桃内駅に至るまでの風景は昨年と全く変わっていなかったため、ここまでわかりやすく変わっているとは思いもよりませんでした。
続いて磐城太田駅に出ます。こちらでも運転再開に向けた工事が進められています。
駅舎は模様替えの最中。
2012年10月24日
2012年の時点では荒涼とした印象でしたが、きれいに生まれ変わっています。
内部も一変していました。
2012年10月24日
2013年11月12日
2014年11月11日
これまで変化のまったくなかった原ノ町方面・北向きの風景が、
このように整備され、
2012年10月24日
2013年11月12日
2014年11月11日
同じく小高方面・南向きの風景も、
このように変わりました。
これまで遅々として進まぬ状況を三年間見てきた自分としては、四年目の急激な変化は意外でした。もちろんそこには来春の運転再開という具体的目標があるからこその変化であり、関係者の努力の賜物なのですが、しかしここまで変わるとは。
変化はこれだけにとどまりません。続いて萱浜の海岸線に出ます。
海に向かう。海が見える。
違和感のある光景に見えました。ちょっと考えて気付きました。瓦礫の山、処理プラントなどの建物、そうしたもろもろがなくなっている。そうしたものがないことで、海が見える風景が帰ってきたのです。
通行止めされていたこの交差点。
2012年10月24日
この場所には震災直後は廃車などが積まれ、
2014年11月11日
つい昨年まで処理プラントが置かれていた場所です。
こちらのGoogleストリートビューの画像は2013年6月同地点のもの。
2012年10月24日
こういった瓦礫の山も、
ついになくなりました。
近くの田んぼでは稲刈りが終わった様子です。
原発事故の影響で3年連続で作付けが見送られることになった。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201212210841.html
何気ない風景ですが、一時は原発事故の影響や塩害などのため、稲を植えることもできなかったことを考えると、震災前、普通にあった風景が戻ってきたことのありがたみを感じます。
2012年10月24日
あちこちに海水が残り、枯れた草木ばかりの茶色の風景を見てきたからこそ余計に。
(つづく)続々々・被災地の今を訪ねる(4) - タケルンバ卿ブログ へ
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