続々々々・被災地の今を訪ねる(3) - タケルンバ卿ブログ より続きです。
日が明け、11月15日。早めに朝食をとり、7時に石巻のホテルを出発。女川に向かいます。
いつもは陸前稲井駅周辺をまわってから女川に向かいますが、今回は1日目にまわっているため、直接女川に向かいます。
女川を見下ろすポイントからは、紅葉の眺めがとてもきれいに見えます。
女川原子力発電所を臨む漁港に来ました。
津波対策もあり、工事は断続的に行われているようです。
2014年11月12日
2015年10月29日
原発という特性上やむを得ないところなのでしょう。
続いて女川駅に向かいます。
2015年3月に復旧、運転再開にこぎつけた新しい駅です。
駅には足湯などもあり、とても整備されたきれいな駅です。
ただ、朝方ということもあり、ひと気はありません。
南相馬に縁のある人間としては、こうして鉄路が石巻へ、そして仙台へつながっていることがうらやましくもあります。早く南相馬を走る鉄路も、どこかへつながらないかなあと。現在は小高・相馬間を往復しているだけですので。
女川を出て北へ向かいます。国道398号線を北に入ると、女川町から石巻市にまだ戻ります。石巻市に戻り北上川に出たところ、河川沿いにあったのが大川小学校です。
大川小学校は河口付近の河川敷のような場所にありました。平坦な広い土地にぽつんとあります。
学校の裏手には高台があります。山があります。が、地震があったとして、事前の明確な指針もない中で、この裏山に登ろうという選択ができたかどうか。これはなかなか難しいところだと感じます。避難場所として整備されているわけでもなく、ここを駆け上がるという具体的な想定をしているわけでもない状態で、大勢の子どもを連れてこの山の中に上がれるか。現場を見れば見るほど難しいのではないかと思います。
慰霊碑に手を合わせ先に進みます。
車から見える風景の中で目立つのは、盛り土と白いコンクリート。各所で住宅の建設とそれに伴うかさ上げ工事が行われ、同時に三陸道や、震災によって被害を受けた橋梁の新設工事が行われています。
場所によっては新しい道を通るため、ナビによっては道なき道を通ることとなります。
南三陸町の防災対策庁舎も、周辺を盛り土に囲まれ、すっかり目立たなくなってしまいました。
沿岸の至るところで白いコンクリートの堤防が作られています。
宮古市の田老地区にも新しい堤防が作られていました。
足場が六段。一段が3mとして18mほどでしょうか。実に巨大な堤防です。しかし、この規模の堤防でなければ、先の津波は防げないのです。
たろう観光ホテル跡の裏山で今年も田老地区を俯瞰します。
2014年11月12日
2015年10月29日
そして今年。
何も変わらないような気がしますが、堤防の建設は進み、同時にこの画像には写らない高台の方に住宅地はできつつあります。
あれから5年。各所に瓦礫が残っていた頃を思うと復興は進んできたなあと実感します。実際に完成した建物やインフラ設備を見ると、それを強く感じます。しかしながら、その立派で新しい施設を見るたびに、失われてしまったものがそこにあるという事実もまた強調されます。立派であればあるほど、新しければ新しいほど、そこにあった古い何かが大切なものであり、それがつい最近失われてしまったんだなあと。
同じ場所を巡ることでそれがよくわかります。だからこそ思います。また来年も来ようと。
2016年の旅もこうして終わります。
(おわり)
続々々々・被災地を実際に巡っての雑感
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続・被災地の今を訪ねる
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