今年も無事書き終わりました。
続々々々・被災地の今を訪ねる
例年通り最後に雑感を書いていきたいと思います。
鉄路は動き始めた
やっと常磐線が動き始めました。
整備工事が進んでいた桃内駅。
新品の踏切。
新築された坂元駅。
運転再開に向けて急ピッチに作業が進んでおり、実際に人手が集まり、資材が集まり、その場所には確かな息吹が感じられました。
2014年の桃内駅。
2012年の坂元駅。
放置され、朽ちていく一方だった桃内駅と、すべて津波に流され、かすかなホームの残り香しかなかった坂元駅。これが修復され、再建され、いよいよ再び動き出すということに、これまでを見続けていた人間としては、かなりの感慨があります。ここまできたかと。
・https://jr-sendai.com/upload-images/2016/07/jobansen.pdf(PDF)
2016年の12月10日。常磐線の相馬・浜吉田間が運転再開となり、小高から一本に仙台までがつながります。隔絶された運転区間だった小高・相馬間が、仙台までつながることで、鉄路の利便性は一気に上がることでしょう。このあたりの福島県沿岸部を「浜通り」と呼びますが、浜通りを通る路線がつながるわけで、浜通り地方としての一体感が今後増すと思います。
しかしながらこれでは不完全で、やはり南側、いわき・小名浜とつながってこそであり、その先、水戸へ、上野へつながってこそではあります。
・https://www.jreast.co.jp/press/2015/20160307.pdf(PDF)
来年、浪江までの区間が運転再開となる予定です。しかしその先は今後の除染や、橋梁などの復旧工事の進捗、そして何より福島原発の状態に左右されます。南に向けた鉄路はいつ戻るのか。果たして予定された2019年までに可能なのか。オリンピックに間に合うのか。それ以前に、彼の地に住んでいた方々にとって、戻ることが可能な時の経過であるのかないのか。なかなか絶望的な状態であると思います。ただでさえ過疎という問題があるわけで、時の経過は彼の地を去る決定を後押しこそすれ、留めることはないでしょう。
どこまで工事すればいいのか
という現実があるなかで、どれだけのコストを復興にかけるかという現実的な問いが今後出て来ると思います。
例えば坂元駅。
あるいは女川駅。
再建された駅はとてもきれいで、立派です。だからこそ思います。
「ここまでのものが必要?」
もちろん必要だからつくったと思います。また、それに見合う需要を今後つくりだすためにもつくらねばならなかった。そういう理由もあるでしょう。
しかしながら今後の需要予測や維持費、今後の経済の動向などを見据えた議論がどれだけあったか。そして今後もそういう議論をしていく体制がどれだけあるのか。これはかなり微妙な問題であると思います。
これは交通インフラに限らず、住宅に関わる高台整備などもそうで、数限りなく各所で盛り土が行われ、高台の整地が行われていたわけですが、ではどれだけの住宅需要があるのか。そもそもどれだけの住人がいるとの予測があるのか。その規模の大きさにアンバランスさを感じずにはいられませんでした。
元々の人口規模にも見合わないような開発に見受けられましたし、今後の人口増という展望があるようにも思えません。あまりにも不思議な住宅事業が勝手に進んでいるような感じを受けました。錯覚であればいいのですが。
海はどこに
三陸といえば海の風景、風光明媚な景色で知られた場所でした。
しかし道路から見えるのは白いコンクリートの壁。青い海は壁の向こうです。
安全性を考えれば仕方ないのです。それはわかっています。しかし、高台の整地事業を進めるのであれば、がむしゃらに高い堤防をつくる必要性は少ないと思うわけです。高台に住まないからこそ、沿岸部の安全性を上げる=高い堤防が必要であるということだと思うわけです。
高台を整地する。住宅を移す。しかし堤防もつくる。大規模なもの。巨大なもの。海は見えなくなった。でも観光客には来てほしい。三陸にいらっしゃい。
私にはこれは矛盾する考え方に見えます。何かを譲らなくてはならないのではないかと思います。何かを譲りつつ、住民の最大幸福につながる適切なバランスを考える話であって、すべてを兼ね備えようとすると、とてもグロテスクな要求になってしまうような。
特に岩手県の大船渡以北の地域でそう感じました。何かがおかしい。何かが。
このあたりの違和感は工事が進むにつれて強くなってきたような感触があります。来年もまた彼の地をまわることで、この違和感を少しでも解き明かしたいと思います。また一年後。