タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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良い情報を求めて試行錯誤東奔西走

 情報に関しては「最良を求めて試行錯誤し続ける」しかないんだよなあ。

 情報リテラシー的に必要なものはすべて含まれている。

 現状を最良と思わない。他にもっと良い方法がある。改善する余地は常にある。今は良い方法でも、時が経つと良い方法ではなくなる。立ち止まると陳腐化する。

 という前提に立って、すべてを疑ってかかる。「わかった」と思い込んでしまうよりは、「わからない」と落ち込むほうがマシ。

 言い換えると「結論を出さない」ってことも必要なのかなと。東照宮メソッド。完成させてしまうと滅びがはじまる。多少のほころびとともに歩き続けたほうが健全。

 前提を疑い、論理を疑い、証拠を疑う。論理の飛躍がないかどうか。因果関係がおかしなことになっていないか。論点のズレがないかどうか。情報に接する際は常に気をつけていきたい。

 もっとも、注意していたってそれができないし、うまくいかない。だからこそわざわざこんなことを書いて、気をつけていかねばならない。

 具体的な方法で言うと、結局は一次情報最強だし、膨大な生データにあたるのが一番確実。それが面倒だから、誰かがまとめた二次情報に手を借りがちだけど、その面倒さを工面した意図(お金とか名誉とか)があるわけで、面倒さから逃げると、その面倒のコストに別方面から追われる。

 DeNAのあれこれで、「検索は死んだ」みたいな言説もちょっと見たけど、正確には「検索結果の上位表示」がある程度操作できる=死んだというだけで、検索結果全体に関して死んだわけじゃない。

 私は比較的調べ物に関しては古い人間なので、昔も今も、何かを究極的に調べるとなったら、その何かについて書かれたもの全部に目を通すことは普通だと思っている。なので、検索結果上位だけで結論を出すようなのは違うと思っているし、それでわかった気になるのも違うと思う。新聞・書籍・雑誌・インターネットにあるもの。これを全部見て、そこから……というのが本来の調べ物。

 では、時間的・予算的な制限があるなかではどうすればいいか。という条件下でのよりベターな方法論。自分のパターンを確立して、マクロ的に自動化できるのが最高だけど、それができないので、疑似マクロとして他人を使ったり、メディアを使ったり。お気に入りのニュースサイトって、要するに疑似マクロ。

 疑似マクロの精度をどう上げていくか。ここで話は戻る。決定的な方法はない。「最良を求めて試行錯誤し続ける」しかない。コピーロボットがいりゃ楽できていいんだけどね。