タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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改姓の態度で交渉の余地がばれる

 結婚において、改姓に対する態度って絶好のリトマス試験紙だと思うんですよ。

 交渉できる相手かどうかという。

 法定婚の場合、いずれかは名字を変えなくてはならない。さて、どちらが? というところに、いろいろと出てしまうものがあると思うのです。

 まずは自分が変えてもいいと思うか否か。自分か相手か、そのいずれかが名字を変える。確率にして50%。その50%を背負えるかどうかに、まずひとつの分水嶺があります。相手が名字を変える可能性があるならば、自分にもその可能性がある。そしてその可能性は等しく50%である。

 こういう考え方ができる人なら、まあとりあえずは安心なような気はします。こと改姓に関し、平等な負担という意識であるわけで、今後夫婦に訪れる負担に関しても、平等に考えてくれるだろうな、と。

 次に背負えないと。絶対に名字を変えられない。そういう場合なのですが、その際に応分の負担ができるかどうかにまた枝分かれがある気がします。自分はこれこれこういう理由で名字を変えられないが、あなたが改姓を受け入れてくれるのであればその代償を払う。こういう考え方であれば、あとはその代償を適切に設定するだけの問題で、今後に同じような問題が発生した場合に、話し合いの余地がある相手であろうと。

 問題は自分は名字を変えない。代償も払わない。相手に一方的な改姓を求めるタイプでありまして、正直申しまして将来は暗い。何故なら、将来別な問題が起きた場合に、同じようにゴリ押ししてくる可能性が高いから。交渉であるとか話し合いとかが成立しない相手である可能性が高いわけです。ことに名字の問題というのは、家とかの話にも通じ、舅がどうだ、姑がああだ、義理のなんちゃら、何代前の、とか面倒な話と関連性が高く、名字で譲れない人はお墓の問題とかでも譲らないことがありますし、嫁と姑で姑を優先してしまいがちな未来が簡単に推測できるわけであります。

 特に難儀なキーワードは「長男(長女)だから」「本家だから」でありまして、これは名字に限らない広い問題を引き起こす話であり、名字と同じ展開が予想されます。

 いずれにせよ、名字で譲ることができない人は、他のことでも譲れない人である可能性が高く、しかもその代償をまったく支払わない人は、交渉相手にならない可能性も高いので、長い人生をともに歩む相手には向かないのではないか、というのが私の考え。

 ちなみに我が家の場合は私が名字を変えたわけですが、別に相手にそれを要求されたわけでもなく、別に嫁さん自体も改姓を拒んでいたわけではないのですが、総務屋の私のほうが手続き慣れしてるし、とりあえず俺にしとくかー的な感じで決めたわけですが、これとて相手に「私は名字変えるの嫌だから、あなたが変えてよね」と言われてたら、私だって改姓するのに応じたか微妙です。だって気分悪いじゃん。なんで俺が。一方的に。

 これから長い期間ともに歩む相手を尊重する上でも、問題を共有し、それをふたりで解決する姿勢が夫婦には大事ですよね。

 つい先日、嫁さんの誕生日を祝ったばかりの貴重な男子改姓マンからは以上です。