タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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詭弁好きの逃げ方

 先日のTVタックルの話題をまとめサイトなどで見ていたわけですが、その中にひとつ気になる発言が。

「そんな事 亡くなった親御さんの前で言えます?」

 これ、詭弁あるある。

量でダメだら質に逃げる、質でダメなら個別事案に逃げる

 詭弁を弄する人にありがちなのがこれ。データ等で量を否定される。その場合は質という内容勝負に。そして質まで否定されれば個別事案に。

 「犯罪が増えているかどうか」というのはデータという量で示すことができる話で、少なくても少年犯罪の凶悪化を示す有意なデータは得られていない。また、ネット犯罪の増加と凶悪化という観点については、そもそもネットが使えるようになってからの期間の長さが、データ的に有意と言えるかどうかという統計学的な検証が必要であるものの、ネットがなかった時代とある時代を比較して、ある時代のほうが明らかに犯罪件数が多いわけでもなく、且つ凶悪化もしていない以上、規制の有無が論じられるほどの状況にはないと思われる。

 ……というのがデータなどから導き出される知見だと思うわけなんだが、規制ありきで考えると、ネットがなかった時代・ネットがある時代の比較はどうでもよく、単なるイメージ論で語られてしまいがちだ。「最近はネット犯罪が目立つ」って、昔はネット自体がなかったから、そら目立つに決まっているんだけどさ。「テレビの影響」が「ネットの影響」に上書きされているだけのような。

 そこで冒頭の発言。データで量とか質を否定する。犯罪の数も増えていないし、凶悪化もしていないと。だから規制も必要ないという主張につながった場合に、相手方はこういう話を持ち出す。

 こういう話は情緒的には理解するし、不幸にも犯罪に巻き込まれた子を持つ親御さんには同情する。同情するが、規制の有無という話には関係のない話だし、むしろ論理的な結論を出すことを阻害する感情論のため、実は有害だ。議論慣れしていなければつまるところだ。「うっ」とくる。同じ子を持つ親であれば尚更。「親の気持ち、わかってないだろ」という非難と同質なので。

 こういう非難とか、量とか質からの個別事案へのすり替えという詭弁あるあるにはどう対処すればいいか。個別事案から量とか質の話に戻す。これが王道。

「不幸な親御さんを増やさないためにも、規制はすべきではないんですよ」

 とか。より攻め込むなら、

「では、不幸な親御さんをゼロにする方法はありますか?」

 と畳み掛ける方法もある。

「かつてより犯罪は減っている。凶悪犯罪が減っている。うまくいっている状況に新たな規制を設けるリスクはありませんか? インターネットが犯罪の火種となる不満などを解消している可能性はないんですか?」

 こういう展開もあり。

 いずれにせよ、結論ありきの詭弁ジャーは、ネタにつまると感情論で逃げる傾向があるので、こういう人を相手にする場合は徹頭徹尾冷静に非感情論で接する必要があります。……ま、こういう人たちって自分たちの主張が間違っていることを認めないから、実は議論する価値がないという考え方もあるんだけどね。

 今日のところはこんな感じです。