タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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続々々々・被災地の今を訪ねる(3)

続々々々・被災地の今を訪ねる(2) - タケルンバ卿ブログ より続きです。

 磐城太田駅を出て、原町火力発電所に向かいます。

 昨年の比較で気付いたことですが、街なかに積まれていたフレコンパックを見なくなりました。

2015年10月28日



 このような感じで、道路沿いなどによく見かけたものでした。これがない。

 ただ、しばらく走ると答えがわかりました。


 各地にバラバラに置かれていたものが、集められてきているようなのです。

 瓦礫の撤去や片付け、あるいは除染作業が進んできたことにより、集められるべきフレコンパックの量が算出できるようになり、それに伴い保管場所となる土地の広さもわかり、用地確保の目処がだったと。そういうことなのでしょう。作業的に峠を越したということで、意味ある変化だと思います。

 そして原町火力発電所ですが、こちらも大きく変化していました。

2012年10月24日

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2013年11月12日

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2014年11月11日

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2015年10月28日

 このようにまったく変わらなかった発電所脇の場所。


 その場所が工事が入り、今まさに修復されようとしていました。工事中のため立入禁止ということで、同じ構図の写真を撮ることはできませんでしたが、ここは確かに同じ場所です。

 実はこれも今回の特徴で、工事のために立入禁止となり、写真が撮れなくなった場所がいくつかあります。「同じ構図の写真が撮れない」という意味では困った話なのですが、こと復興という観点においては間違いなく前進している証左で、むしろ喜ばしい話であります。

 逆に、工事が進んだことで入れるようになった場所も出てきました。



 例えばこれは山元町で撮ったもの。新しい橋梁が完成し、それを撮りました。ではこの橋梁はどこか。

2014年11月11日

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 2014年の時点では橋桁しかなく。

2015年10月28日


 2015年には高架ができていた常磐線の移設現場です。


 田んぼしかなかったこの場所に、あっという間に高架が誕生していました。昨年は工事のために迂回せざるをえなかった場所が通行可能になっていたのです。

 工事は進み、かつての面影はほとんどありません。ここは常磐線の線路があった場所。線路があったこと、そして駅があったこと。その足跡をたどることは難しい状態です。



 その一方で新しい坂元駅が完成していました。コンクリート造の立派な駅です。

 海から離れた場所に線路が敷かれ、津波対策として高架となり、予定では12月10日に運転を再開します。これまで常磐線の小高・相馬間は南にも北にも隔絶された区間でしたが、これでやっと北がつながり、仙台方面へ出ることが可能になります。

 日が残っていたので、例年は2日目の朝にまわる石巻市の河口部を見ることにしました。やっと治水対策が進み、堤防が二段になっています。

2015年10月28日

 一段だったこの状態から考えると、格段に安全性が高まったように思えます。

 各所の工事は順調に進んでいるように見えます。特に治水面で目に見える改善がありました。とはいえ、今年も台風があり、そして小規模ながらまた津波が観測されるなど、こうした備えは不可欠です。進んでもなお足りない。しかしながら限界もどこかにあり、歯止めも必要かと思います。

 じゃあ、どこまで?

 出るべくもない答えを考えつつ1日目を終えます。

(つづく)続々々々・被災地の今を訪ねる(4) - タケルンバ卿ブログ

続々々々・被災地を実際に巡っての雑感

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