この記事は質問される立場からのお話。
今回は質問する立場のお話。
質問は何故成り立つか。それは問いがあり、答えがあるから成り立つからなのですが、答える側に問題があるのであれば、問う側にも問題があることも多いわけであります。
問うてますか?
そもそも「それ、質問になってませんよね」みたいな場合。「聞いてるふりして、言いたいこと言ってるだけですよね」という。これは国会の予算委員会によく見られるパターンで、言いたいことを言っているうちに気持ちよくなり、質問じゃなくなってしまう。自説開陳で終わってしまう。
質問であるなら、あくまで問わなければならない。聞かなければならない。相手にボールを投げる。ボールを渡さなくてはならない。これ、当たり前のことなんだけど、意外とできていない。
疑問形にすればいいと思ってませんか?
文末に「?」をつければ質問になりますかねえ。「?」がつくかどうか、疑問形になるかどうかはちょっと別の話。抑揚をつけたって、語尾を上げてみたって、文章が質問になっていなければ、最後に「?」をつけようが質問にならない。その文章が質問であるかどうかは、その文章の内容次第。
ひとつの質問でいろんなことを聞いてませんか?
ひとつの質問でいろんなことを聞いてませんか?
- 「このリンゴの味はどうなの? 価格は? あと買いやすさは? 鮮度はどうなの?」
こんな感じで、あれもこれもそれもと聞く内容を詰め込むと、相手が何について聞かれているのかわかりづらい。聞かれた要素のうち、何が一番聞きたいことなのかも伝わりにくいし。
単文になってますか?
主語・述語の組み合わせがひとつ。これが文章として最も単純。
- 「このリンゴはおいしい?」
こういう単文がわかりやすい。
自分の意見を付け加えてはいませんか?
- 「このきれいなリンゴはおいしい?」
このような質問はよく見かけますが、無意識に「きれいな」という価値観が入っています。この「きれいな」は質問者の意見です。こういう前提を入れると、相手の意見を歪ませる可能性がある。相手の答えを縛ってしまう。質問ではなく、誘導尋問になってしまうことがある。
長文になってませんか?
質問が長い。もうこの時点で良くない質問。質問はなるべく短く端的に。自分の主張や、余計な前置きを挟まない。長くなるくらいなら、短い質問を複数したほうがいい。
言わせたいことを誘導してませんか?
長文質問が好きな人は、大抵このパターン。言わせたいことがあるので、質問文でそれを誘導する。だから、それは誘導尋問なんだって。
導きたい答えがあるなら、質問文でそれを誘導するのではなく、質問を重ねることで導きたいところ。ひとつの問いで導こうとすると、質問文が長くなる。質問が長くなると、質問それ自体がわかりづらくなる。
「どうですか?」で締めてませんか?
これも国会よくある風景。長々と質問しておいて、締めが「どうですか?」と。……何について聞かれているのかよくわからない。
「どうですか?」という聞き方は、あまり有益な回答を引き出すことができません。感想でいいので。
- 「このリンゴ、どうですか?」
どう答えてもいい。「うまいっすよ」と味を答えてもいい。「安いっすよ」と価格でもいいし、「赤いっす」と見た目でも問題ない。
文末をきちんとすることで、質問の内容を限定しないと、本来聞きたい内容が相手に届かない。
まあ結局良い質問とは、わかりやすく、単純で、無味無臭のもの。下手に意図とか主張とかを挟むと、聞かれた側も身構える。たとえ二者択一でも、繰り返せばどんどん相手の立ち位置は狭まるわけで。聞かれた側がわかりやすく、そして答えやすい質問を心がけるとよろしいんじゃないでしょうか。
では今回はこのへんで。