タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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接待は術より思いやり

 こういう話は業種とか職種によるのではないかと。

接待術、みたいなものがありますね。ビールの注ぎ方とか、上座下座とか、相手が食事に箸を付けるまで待つとか、そういうの。

http://hase0831.hatenablog.jp/entry/2016/01/31/224043

 こういうのって必要な人が必要なだけ身に付ければいいと思うわけです。必要性が身に付ける動機だし、「できないと困る」という後向きな考え方が動機ということもあると思うわけです。

 そういう場に出る機会がどれだけあるか、あるいはあったかという過去の蓄積でありますし、未来においてそういう知識が必要であるかは、そういう場がどれだけありそうかという話。なきゃないでいい。できなきゃできないでいいと思うわけです。

 まして接待術でありまして、基本的には社外の人と接する場において必要なもので、本質的には社内的な話じゃないよね。社内の場においては、どれだけできなくても、できない個人の能力の問題でありますが、社外の場においては会社全体の問題になる場合もあるわけで。

 ただ、できたほうが得だよなあとは思います。理由。大人扱いされるから。若手はガキ扱いされるより、大人扱いされたほうが有利なんですよ。「大人の処世術」ができるからって、どうということはないんだけど、それができることで大人扱いされ、若手ポジションを脱しやすい。チャンスをつかみやすい。

 例えば、偉い人がいる場に呼んでもらえる。社内・社外問わず、常識のないヤツを呼べない場ってあるからね。

 そして素直な人は有利。「こういうとき、どうすればいいんでしょう」って聞ける人。接待術に絶対的な答えはなくて、相手によって、環境によって答えが変わる。その答えを聞ける素直さがあると有利だし、年長者の中には「教えるのが好き」って人が一定数いるし、「できるようになっていく過程を見るのが好き」って人は結構いるから。

 あとは実践。女の子とデートに行くとき、自然に窓側の席を相手に譲れるか、とか。エスカレーター乗る時に、上りなら自分が後に乗り、下りなら自分が先に乗るとか。常日頃から相手のことを思いやる癖がついていれば、相手がいる営業とか接待で強い。

 一方、教える側にとっては、こういうのは「魚の捕り方講座」であればよく、「かわりに魚を捕ってくる」にしてはいかんと思っております。最初に捕り方を教えて、あとは自分で考えろでいい。いちいちすべてのケースを教えこまなくてもすむように、考え方の筋道だけはしっかり教える。

 例えばさっきのエスカレーターの話ですけど、わかる人にとっては当たり前の話ですが、わからない人にとっては「???」な話だと思うわけです。上りと下りで乗る順番が違うのはなんでや、と。でも「谷側に自分がいれば、なにかあったときに受け止めることができる」って言えば、なんで上りと下りで乗る順番が違うかわかるわけです。これは順番の話ではなくて、自分を谷側に置くことが重要な話なんだと。

 で、これがわかれば、ひとりずつしか降りれない幅の階段についての対応もわかるわけです。上がるときは自分は後、降りるときは自分は先。これはなにも女の子とデートというだけの話ではなくて、ご高齢のかたとお食事に行ったりする場合にも使える考え方なわけです。うなぎとかそばとかの老舗日本料理屋で、二階建てのお店とか結構ある。お座敷が二階とかね。

 同時にこういう常識を崩したほうが良い場合もわかる。足が悪い人にとっては必ずしも奥の席が上席とは限らない。席に行くまで距離があるくらいなら、手前のほうが良いというケースも結構ある。そういう「崩し」まで意識できるのが本当の接待術であり、配慮であり、相手に対する思いやり。

 細かい所作とかはどうでもよくて、本質的なところがわかっていれば上々。不器用だけど、相手に対する思いやりはある。が、それを表現するやりかたがわからなくて、それを学ぼうともがいている若手は微笑ましくて好きです。ほっといてもそのうちどうにでもなる。

 逆にひとりよがりで、どこからか見つけてきた上辺だけの常識を誰にでも当てはめようとするヤツは、一見如才がないように見えて先はないです。思いやりがないから。自分のための接待だから。

 同様に若手に対して「俺をもてなせ」みたいなヤツも嫌い。ああ、醜悪。「もてなせ」と人に言う前に、お前自身がもてなしたくなるような人間になれ。

 花言葉が「無難」の人間としてはこんなところです。