タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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ディベート指導者がどれだけいるのか問題

 なんか呼ばれた気がする。


中学時代にディベートの授業を受けた時の話。

おれはディベートの教育を受けたことないのでわからん。タケルンバ卿の解説を乞う。

2017/10/29 17:12

 というわけで書きますよ。

 とはいえ、散々突っ込まれておりますように、そもそも「それ、ディベートじゃないよね」なわけですが、それで終わりにしては身もふたもないので、説明をば。

狭義のディベートと、広義のディベート

 「ディベート」って一般的には「議論」とか「討論」と解釈されておりますが、それはかなり広い解釈だよね、というのがまず前提。でもって、元記事のディベートの授業というのは、こちらの広義のほう。議論とか討論。「議論の授業」「討論の授業」と解釈しても問題ない。

 一方で狭義のディベートというものがあって、こちらはディベートとしてのルールがあり、それに基づくゲーム。でもってディベートにもいろいろ形式があり、様々なルールがあるわけですが、基本線として違いがないのはこのあたり。

賛成側と反対側に分かれる

 基本。正反対の立場に分かれ、その立場で議論を行う。元記事の授業もこれは満たしている。

賛成側と反対側の人数は一緒

 ディベートのルールとして一人制だったり二人制だったり、もっと多人数のチーム制であったりもしますが、基本的には賛成側・反対側は平等ですし、同じ人数です。賛成一人対反対三十人なんてありえない。

賛成側と反対側の発言機会・時間は一緒

 人数を揃えますし、発言機会や時間も揃えます。平等です。質問をしたら次は質問を受ける立場になります。主張すれば主張される。基本的には交互。

ディベートの立場と信条は関係ない

 重要なところはここで、ある論題に対して常日頃賛成か反対かなんてのはディベートでは関係ないのです。ルーズソックス反対派でも、ディベートで賛成側になったら賛成側の主張を行います。「ちゃんとした」ディベートの授業であれば、「じゃ、逆の立場で」みたいな感じで、賛成・反対を逆にしてもう一戦みたいなこともします。ゲームなんで。そしてゲームを通して議論とか討論のやりかたを身に着けようという趣旨で教育現場で行われているはずなんで。

 というあれこれを前提に元記事のディベートを考えると、これはちょっと狭義のディベートからはかけ離れているし、広義のほうのディベートとして考えたとしても、議論や討論のやりかたとして相当雑ですよね。ディベートをすることで何かを身につけようという教育効果に乏しい。

教える人不足

 とはいえ、教育現場でディベートをやるには環境があまりにも、というところで、ええ。

 学校でディベートをやる。学生にやらせる。では、ディベートをやったことがある先生がどれだけいるか。それも広義ではなく狭義のディベートを。

 正直ディベートを人に教えるなら、ある程度まともなところで判定員(ジャッジ)ができるレベルではないと話にならんと思います。行われた議論をまとめ、それぞれの立場の有利な点・不利な点を整理し、両者を比べた上で判定を下しつつ、その判定を明確に説明できるレベルではないと難しい。

 何故そのレベルがないと難しいかというと、勝敗のポイントを明確に決められるレベルにないと、ディベートではどういう主張をすべきかとかを教えられないし、実際の試合においての勝敗を分かつポイントを指摘し、改善案などを示すなどの「次」につながらないからです。教育現場でやるならね。

 主観的な主張が多ければ、もっと客観的な主張をするように指導すべきです。また、客観的な主張ができるように、こういう主張にはこういう論拠があるといいよね、という提案もいるでしょう。転じて「そういう論拠を集めるためには」ということで、図書館に行って情報を集める方法を学んだり、二次資料ではなく、一次資料にあたりましょうなどというリテラシーの話にもなったりします。

 果たして「ちゃんとした」ディベート未経験者にここまでのことができるか。まあ無理でしょう。

そのディベートの賛成派の勝因(教師曰く)は複数の意見を出した事であり、反対派の敗因(教師曰く)は全員が全員自分の意見を言わなかったからだ。

中学時代にディベートの授業を受けた時の話。

 このレベルであればお察しであります。

 個人的にディベートをやる意義は、「話がうまくなる」とかではなく、効果的な主張を学ぶことで、より論理的な主張ができるようになったり、より実証的な論拠が何かを考えるようになったり、より説得力に満ちた表現方法に思いが行くところではないかと考えております。自分の主義主張とは関係なく、ある議論の賛成・反対を主張する場合に、どうすれば効果的かを学ぶ。そしてその過程において、賛成・反対は表裏であり、万能な主張はないってところに思いが至るのであれば、ディベートの教育効果としてはまずまずといったところではないでしょうか。

 以上、選手としては引退、ジャッジとしては現役のタケルンバがお届けしました。

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