続々々々々・被災地の今を訪ねる(2) - タケルンバ卿ブログ より続きです。
朝食を早めに済ませ、7時過ぎにホテルを出ます。
まず目指すのは女川。
いつもうかがっている漁港では、工事がすっかり終わっていました。
2013年11月13日
工事前と比べると、コンクリートの白さが印象的です。
2012年10月25日
港のそこかしこに残っていた津波の爪痕も。
今では残っていません。
かさ上げ工事も追加で行われていたようです。
2012年10月25日
この当時を知る人間にとっては隔世の感があります。
・https://mainichi.jp/articles/20171126/k00/00m/040/121000c
とはいえ、この記事を読んだ後になって考えると、やはりここも工事計画当時とは様相が異なっているのかなあという気もします。かさ上げしすぎて、かえって不便になった場所が出てきたという話は、実際の姿を知っている人間にとっては割りと現実的な話に思えます。
沿岸部を北に走っていくと、至る所でこのような工事があります。
車窓から見える風景は白いコンクリート。黒い土嚢。津波対策の工事の風景です。
橋梁工事も多く見られる風景です。元々あった橋梁の流出・破損に伴う建て替え工事の他、三陸自動車道の建設に伴うものもあり、急ピッチで作られている様子がうかがえます。
風光明媚な三陸の景色は、すっかり白亜のコンクリートの風景となりました。海が見えるのは上り下りのとき。平らな場所を走っているときは、海側は防波堤しか見えません。
宮古の田老地区でも、これまでをしのぐ規模の防波堤が作られています。
いつもの高台で田老地区を見下ろします。
2014年11月12日
2015年10月29日
2016年11月14日
2017年11月13日
インフラの復興という意味では、原発関連のものを抜くと一区切りといったところでしょうか。2019年にはラグビーワールドカップがあり、釜石市はその会場のひとつとなります。三陸自動車道などがワールドカップに合わせるかのように急ピッチで作られている様子を見ると、復旧という今までのレベルに戻すところから、これからの発展をどう目指していくのかというところに論点が移り変わっているように感じます。
しかしながら、コンクリートの景色を見るにつれ、今後の展望に疑問を感じることもまた事実です。観光を捨て地元の生活、安全な生活を優先するという選択をしたのなら、それもひとつの選択。しかし、それでも観光地として集客を目指すというならば、それはなかなかに難しいことで、かえって茨の道。他の観光地が競争力を強めていく中で、どれだけ抗えるか微妙ではないでしょうか。
今年も約700kmの車旅を終えます。
(おわり)
続々々々々・被災地を実際に巡っての雑感
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